猫と、私と、おばあちゃん。③

日常の出来事

その年は大寒波がやってくるとさんざん天気予報が報じ、私の居住エリアでも零下5度を記録する夜が出始めた。

さすがに猫とはいえ、高い忠誠心で、小高い手すりにうずくまって毎夜過ごしているように見えるので、夜はだいぶ寒いのではと懸念した。

飼い主公認ということもあり、踊り場スペースに手作りで段ボールハウスをこさえる事にした。

子供の頃よりも知恵がついているので、ホームセンターなどで発泡スチロールの厚めの板を買い、段ボールの底と側面の外側に貼り付け、保温効果を上げた。さらにその外側に100均で買った防災用の保温アルミブランケットを巻き付け、出入り口は最低限の大きさにして、保温性を上げた。さらに内部に直接冷たい空気が行かないよう、出入り口の上にビニール傘を覆うように広げた。

段ボールの中には、おばあちゃんが置いて行った毛布と、100均で買ってきた湯たんぽを入れ込んだ。

これで寒さは何とかなるだろう。

階段の踊り場の陰になるよう、完全にドアの開閉を妨げるような恰好で、段ボールハウスを設置した。もうどう見てもこの住まいはホームレス仕様だ。とはいえ、安価で機能性を追求した結果だ。

試しにらん子を出来上がった段ボールハウスへ入れてみた。

ちょっと躊躇っていたが、中に入ると気に入ったような様子を見せ、その中に落ち着いた。私は湯たんぽのお湯を朝晩変え、夜はさらにカイロを入れに来ることにした。もちろん、ご飯の世話と水の入れ替えも朝晩する。

らんこは朝はだいたいどこかに出かけているのだが、夜は大抵段ボールハウスに居たので、私が階段を登っていくと、段ボールハウスから出てきて私を歓迎してくれた。

そうやって毎日らん子の所に行っていると、別のお皿が増えたりしていて、おばあちゃんと私以外の人がエサをあげている様子が伺えたりした。

またある夜は、私がお湯替えをしている時に、おそらく近所に住んでいるであろう水商売風の老齢の女性が階段を上がってきたこともあった。らん子が心配で様子を見に来てしまうのだと言っていた。

みんならん子が心配で、らん子を愛し、気にかけ、応援している。そういう人が近所に複数いることをこの活動を通して体感した。

おばあちゃんも数日に一度エサをあげに来ていることから、時にバッティングすることもあった。少しでもらん子の体を温めたいという思いから、おばあちゃんの車の中に招き入れ、暖房の効いた空間に居させるようにしていることもあった。そして、いつもらん子に歌を歌っていたというので、その歌を車の中で歌ったりしていたそうだ。

子供の頃に、飼えない猫をこのように世話した経験はあったが、まさか中年になってまで段ボールハウスで猫の世話をするようになるとは、夢にも思わなかった。

そして、こんなに明確に場所を占拠して、本格的に猫を飼っている様子を不動産屋に見とがめられたら、らん子は保健所に連れていかれるのではないかとハラハラもした。

家探しも急いだが、私が狙っていたエリアはもともと不動産の流動性が悪い地域である上に、時期的にも引っ越しシーズンではないため、あまり候補物件が出てこず、悩ましい日々が続いた。

おばあちゃん曰く、おばあちゃんが一人で数日に1回ご飯をあげていたころは、らん子は顔つきに険があったが、定期的に世話をする人間が現れたためか、顔つきが穏やかになったと言っていた。

これらの行いが、らん子の心に届いているならいい。

ある日、らん子の段ボールハウスの前に、おばあちゃんの掛かっていた公的サービスの方なのか、社会福祉的な方の名前と肩書、「何かお困りのことがあればご連絡ください」と添えられたメモが置かれていた。

これはもう、明確に期限を切らないと、何かの拍子にらん子はどこかに収容される可能性があると感じた。なので、私は「2月位に、らんちゃんはお引越し予定です。皆さま気にかけていただきありがとうございます。」とメモ書きを、らん子の段ボールハウスに立てかけているビニール傘に張り付けた。

後1、2か月程度で新居を決めなければいけない。そう思った。

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