教会での礼拝体験などを終え、夕飯を兼ねてナイトマーケットへ行くこととなった。
教会からさほど遠くないようで、先日行ったナイトマーケットは別の所だよ、と聞いていた。
そうして車で少し移動すると、広場いっぱいに夜店が広がっていた。
どうしてもこういうの見るとワクワクしてしまう。
私が思わず日本語で
「すごい」
と言ったところ、すごいはどうい意味か と羽生君が尋ねてきた。
私は少し考えて
「great」
と言いかけたとき、日本語が堪能なお母さんが
「wonderful」
と言った。
まぁ、たぶんそっちのニュアンスの方が正しいのだろう。
そうして車から降りて、お母さんと娘ちゃんチームと羽生君とお兄ちゃんとその友人と私のチームの二手に分かれて、ナイトマーケットを回り始めた。
日本の寿司を語るような、見たことのない海苔巻きなども売っていた。
気になる食べ物もあるが、お腹が減っていると純粋に要求を満たす食品に興味が湧く。
私は鶏肉を焼いたものに心惹かれていた。
羽生君は20代の若者というものもあってか、揚げ物などパンチの効いたものに興味を持っている。これでガリガリ、けれども190㎝というのだから羨む人もいるのではないだろうか。
そうこうしている時に、私は夕方に立ち寄った鶏農場でのことを思い出し、羽生君に尋ねてみた。
「あなたは自分の何に自信があるの?」
集団の中で恣意的に輪から外れる行動をとる背景として、過去私は家族など集団から疎外された経験から自信を無くし、積極的に関われないケースを見ていたので、羽生君の夕方の挙動の原因を把握したかった。
そこに寄り添うことができれば、一気に距離も縮めることができるだろうし。
そう尋ねてみたところ、彼は
「僕の自信は100%、見た目だよ」
と驚愕の答えが返ってきた。
何せ私は自分が20代の頃は「男よりも男前」などという、自殺行為的なコンセプトを掲げていた人間でもあるので、中身ではなく、外身だけでどうこうしようなど論外中の論外だ。
いろいろと軌道修正を経た今でも、中身ガン無視なんてことはあり得ない。
「そんなの良くない。もしあなたが見た目だけの人間だったら私はここに来なかった。外見だけに頼るのはやめた方がいい」
私は喚きたてた。
「明日私の誕生日だから、明日までに外見以外の自信について教えて。それが私の誕生日プレゼントね」
と、誕生日を悪用した脅迫を行う。
とはいえ、これが友人であっても私は同じことを言うだろう。本人のためを思えば、その思想は幸せを担保しない在り方だと思う。人のジャッジもそこに基づいてしまうし、自分へのジャッジもそこが基準になる。
まして、そんなところを第一主義にする人間と、アラフォーの私は、まぁ上手くいかないだろうし。
私がこの件を、必死でやいやいと騒ぎ立てた結果、彼は若干ふさぎ込み、帰りの車では私の隣を避けるような行動をとろうとした、が、私はこんな時ばかり、果敢に羽生君の隣を取りに行く。
親切心で招いた外国人に、突然メンタルをボコボコにされるという災難を被った羽生君。
まして、誕生日という万国共通のお願い事を叶えてしかるべきカードを突然切られ、無碍にもできないに違いない。
しかし私は悪いことをしたとはこれっぽっちも思っていない。
凹む羽生君をよそに、私はそうあってしかるべきという態度を崩さなかった。
帰りの車内で、お母さんがスパやマッサージは行かないのか、と聞いてきた。
みんなで会話ができるように英語で話が進んでいたが、ここで私はお母さんだけに伝わるように日本語で答えた。
「今回の旅の目的は、羽生君を知ること。スパやマッサージは一人でも行けるから今行く必要はない」
日本語交じりとはいえ、自分の名前が文章に含まれているのを聞き取った羽生君は、ぴくりと反応した。
帰ってきたら、近所のお友達らが合流し、明日私の誕生日と聞きつけ、日付が変わる瞬間にお祝いの歌を歌ってくれようと集まってくれた。
朝早くから動き回り、ふらふらだったが、その日付が変わるところまでご一緒させていただいて、申し訳ないが早々に眠りにつかせていただいた。
そのお祝いの歌、ハッピーバースデーの歌は、英語と日本語とで歌われた。
「今日は楽しい誕生日、うれしいな、楽しいな」のような歌詞が入っていた。
それを聞いたとき正直涙が出そうだった。
でも泣くわけには行かなかったので、一人になった時、眠る直前、思い出して涙した。
私は別に、生まれてきて、うれしいな、たのしいな、という気持ちになっていない。
生まれてくるべきだったのだろうか、と思う。
凄惨な子供時代を過ごし、いつかそこを超えられると信じて、若い日々を我慢に我慢を重ねて、マイナスの昇華に努めた。けれども、もうこんな年にまでなってしまった。
私の気持ちを上滑りするみたいに、平和で楽しい世界が歌われて、私は何ともやるせない気持ちになった。
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