朝食の接客は、着るのが簡単な作務衣を着ていたが、夕食の接客は着物を着ることが義務付けられていた。着物の着付けに関しては70代のベテラン仲居のヤノさんに教えてもらうように指示され、私は夕食の集合時間の少し前にヤノさんの部屋に行き、彼女に着物の着付けを教えてもらった。
こうして、勤務時間の少し前に彼女の部屋で着付けを教わると言うことは、彼女のボランティアになることを意味していた。噂によるとヤノさんは元お嬢様で、いい車を持っていて、今の仲居の暮らしをする以前に貯めた貯金がたくさんあるという噂があった。細かいことでいろいろと言われることもあったが、私は彼女が嫌いではなかった。
私がこの旅館について程ない頃、この着付けを教わる時間に、ヤノさんは
「ここでは物もないだろうし、不便だろうからこれをあげるよ」と、ハートのマークがちょこんと印刷されたマグカップをくれた。後に100均で同じものをみたが、私はそのヤノさんの心が有難くうれしかったため、そのマグカップをその旅館のアルバイトが終わった後も、本当に長いこと使った。
着物の着方なんてとんとわからなかった私が、ヤノさんのご厚意指導の甲斐もあり、2回ほどのレッスンを終えた後、なんとか自分で着られるようになった。
旅館から支給された着物セットは、着ない時は部屋に一式吊るしておいた。着物とは来ている間も窮屈だが、着るのもまた大変で、たくさんの小物が必要であることもこの経験を通じて学んだ。
また、私がこの旅館に到着したばかりのお盆シーズンと、9月に入ってからでは支給される着物が代わったりもした。みんなの着物の色が一斉に変わるのは働き手としても楽しいものだった。
見習い仲居の私の教育係は、25歳位の元施設教員のハルカさんだった。ハルカさんはもうすぐこのアルバイトを終える予定とのことだ。
普段の仕事は、ハルカさんに付いて学び、少しずつ独り立ちの過程を歩み始めていた。
そういう状態だったので、人付き合いが苦手な私もハルカさんと一緒に行動する機会が時々あった。
そんなある日、ハルカさんと私を含め4~5名の若者たちで、どこかで食事をしていた時のことだった。
ハルカさんが突然、会話に何の関係もない白い薄い板状の帯のようなものを取り出しながら微笑み、そのままおしゃべりを続けた。不思議に思ったが、特に気にも留めず、そのままおしゃべりに興じた。
そうして自分の部屋に戻り、中抜けの休憩を取り、夕食の出勤時間までくつろいだ。
所定の時間までゴロゴロしていた私だが、夕食の時間が近くなってきたので、そろそろ着物を着るかと起き上がり、吊るしていた着物に手をかけた。
すると、長襦袢に入ったままになっているはずの衿芯が入っていないことに気が付いた。
衿芯が入っていない長襦袢は衿周りがくたっとしてしまう。
幸い、長襦袢は2着支給されていたため、もう1着の長襦袢から衿芯を抜いて吊るしてあった長襦袢に入れた。
いったいなぜこんなことが?
不思議に思った時、突然、昼間にハルカさんが会話中に何の脈絡もなく白い板のようなものを皆に見せていたことを思い出した。
あのハルカさんが持っていたものは、私の長襦袢の衿芯だったのではないだろうか。
そうであるならば、あの意味の分からない行動の筋が通る。
でも、何の証拠もなく、あのハルカさんが持っていた白い板が、私の衿芯であると騒ぎたてられる訳もない。
そして状況から察するに、その私の衿芯を盗む行為について、先ほど一緒に食事をしていたメンバーの一部か、もしくは全員が知っていたということになる。
従業員の寮はいくつかあり、いずれも旅館にくっつくような形で建っていたが、建物が分かれていた。
ハルカさんの寮は私とは離れた、ヤノさんやモリタさんと同じ建物だ。
つまりハルカさんの単独行動では、私の不在時に衿芯を抜くことは不可能なのだ。(だって私がいつ不在かわからないのだから)
私も全員がどこの建物のどの部屋に住んでいるのかは知らなかった。
そのため、ここまでの予想で行くのならば、ハルカさんを含めた複数名が私に嫌がらせを行っており、誰が敵で、誰が味方かわからない状況ということになる。
そして襖で隔たっているだけの、鍵のついていないこの部屋に、誰かが侵入したことも意味していた。
▼お金を稼ぎながら冒険したい人は、コチラ▼
▼海外への冒険への扉は、コチラ▼
イケメンフィリピーノ・羽生君との交流がはじまる「必達TOEIC800点計画」シリーズと一緒にどうぞ!
コメント